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コミティア97 11/08/20 Sat.

新刊表紙

 事実だけを記そう。
 サークル咆哮剤は2011年8月21日のコミティア97(国際展示場東5・6ホール)に参加し、既刊3種類と20日午前11時現在編集作業進行中の「The Book of Siamese Twins」(表紙画像は上掲)の印刷・製本・持ち込みの全ての行程をつつがなく終えることが出来た場合、これを新刊として頒布する。
 新刊はシャム双生児合同誌であり、シャム双生児をテーマとした漫画短編が4編収録される。内訳は山像 樹「シャムの子」、須藤神鳴「果たして埃をかぶった。」、すてまる拾九(題未定)、望月輝(題未定)。
 題未定から、今まさに編集が始まらんとする臨場感を感じ取って頂ければ幸いである。当日はスペース番号し18aにてお待ちしております。

コミティアお疲れ様でした 11/05/06 Fri.

ありません

 新刊がない人間の即売会的ヒエラルキーはミジンコよりも下で単細胞生物に相当する無断欠席サークルよりはいくらか上という話になっていますが、臆面も無く新刊無しで参加しました。お疲れ様でした。
 画像は会場で適当に描いたモノですが、白い紙を持って行くのを忘れたので段ボールに直接描きました。非常に見栄えは悪かったですが元々ヒエラルキーが低いので大勢に影響はなかった。

 夏はシャム双生児本と2月の続きの新刊2冊体制で臨みたいという意志を表明しておく。

首都消失 11/05/03 Tue.

 そんな場合じゃねえとは言われながらも5月5日のコミティアに参戦致します。スペースはし11a、ただし新刊はない。ないのだよ。色々あったからな。

 それだけでは何か寂しいので2月の既刊の表紙でも貼っておこう。で見直すとこのサイト2月の告知してねー。ダメダメだな。

きかん

 実物は紙が格好いいので大変見栄えします。やなエクスキューズだな。

思うところその他 11/04/26 Tue.

 まあそのようなこと(1個下の記事)を書いて後論客の皆さんがどのような受容の仕方をしているのかつらつらと眺めていると、まるで私ばかりが的外れなことを言っているかのような錯覚に陥ったのだった。肯定的であれ否定的であれ、とりあえずまどかの選択が提示する物語のテーマを解題するのが論客的な態度というモノなようだ。まあ、私論客じゃないから関係ないけど。

 しかし改めてSFとまどか☆マギカという視点から振り返ってみると、まとまりと個々のギミックの必然性のなさが際立ち、なんだよそれ全然駄目ってことじゃあねえかという結論に至るんですが間違ってたら毒電波で連絡ください。に、も、かかわらず、放送中はSFクラスタの一員としてそれはそれで楽しく享受できていた。「ソウルジェムはイーガンの宝石だったのか……フム……」という感じで(アレこそ最も必然性のなかった設定選手権筆頭だ)。
 要するに盛り上げ方、期待値の上げ方が上手かったんだよなー、と改めて実感する。ネットを介していかに議論とか祭りが盛り上がるかという所に最大限のリソースが投入されてるから終盤のまとまりの良さが割を食うのは当たり前で、要はそのような祭りの要素の一部としてSF成分も注がれていたのであり詰まるところSF風まどか最終回予想大喜利とかやってた私たちはものの見事に新房と虚淵の術中。

 言うなれば炎上マーケティングにも似た発想でありしかも私自身その盛り上がりの一部・末席を担ってしまっていたことには相違なく、それが歯痒いのだ……。

 これを書いている今観測しているtwitterのTLはどっかの雑誌記事が引き金となった「女子力とオムライス」TLになっている(元記事は読んでない)。みんないつだって何者かに踊らされているんだ。

魔海少女ルルイエ・ルル 11/04/23 Sat.

 その絶望の深さはまどか☆マギカ最終回への不満を表明するためにスタイルシートの記述方法を思い出せるほどだ。あ、ネタバレしてますけど多分。

 つってもまあアレが身内の中でも私しか見てないようなヘッポコアニメのオチだったら、次段落以降に述べるような内容を譲歩の形で述べつつも「バクスターのタイム・シップを彷彿とさせる絢爛たる宇宙観が提起され虚淵氏のSF的資質は世界というハードウェアを巡る描写に於いても云々」みたいな持ち上げ方をしていたであろうと思われる。結局の所相対的な受容の仕方をするよりないのだな……つくづくインターネッツなどを介して(多くの他人が褒めたり叩いたりしているような)フィクションを消費するべきではない。

 根本的な不満が何であったかといえば「設定盛り過ぎ」という所に終始する。キュゥべえが人類進化を導いたとか歴史上何人もの魔法少女がいたとか平行宇宙モデルっぽいことを示唆してみたりとか、その辺の設定がどのような有機的に結合された世界観を表現しているのかが全然読み取れない。特に11話冒頭でキュゥべえが平行宇宙を提示したあたりは謎すぎる。その後の展開をどう解釈しても時間軸は一本しかないんじゃないですか。あるいは「暁美ほむらが平行宇宙を渡り歩いた」っていうのはただの比喩なのか。まあここは謎指数が高いだけで熱力学第二法則の説明と同じく別に本質じゃない。
 平行宇宙間でのエントロピーのやり取りに熱力学第二法則が成立して且つキュゥべえが救いたいのが“この”宇宙だけだったら面白いことになるよねという話はもう何回もしましたよね(コレとかコレとかコレとか)。
 で、設定にまとまりがないためにキュゥべえが何を了知し、了知していないのかまた何が出来て何が出来ないのかよくわかんねーブラックボックスになってしまっている。そして魔法少女はなぜキュゥべえの権限を越えた能力が使えるのか。そりゃあそれが出来ないとお話にならないわけですが、それに対するエクスキューズとして「僕たちに感情という概念は理解できない」はあまりにも薄弱なんじゃあないですかね。それに中盤までのキュゥべえは感情を認識した上でまどかを煽っているように見えたしなあ。
 キュゥべえが救いたい宇宙とは何なのか(先述の「宇宙観がどのようなモデルから成り立つのか」という問題のみならず、キュゥべえの文明がどのような問題に直面しているのかという根本的な“キャラクターの動機”も含む。まあそこを明かすのは野暮で徹頭徹尾正体不明である敵の方が今風という意見は当然あるだろうけれど、そこを神秘のヴェールに包みすぎているせいで誰に何が出来るのかよく分からなくなっていて、カタルシスを減じているという面は確実にあると思われる)、感情のエネルギーによって出来ることは何なのか(具体的にはほむらがバイツァダストないしタイムベントできる条件)、改変された世界線での因果関係はどこで何が起こってどこで何が終わるのか、または起こったことになってて終わったことになっているのか、等の本当に語られるべき内容は全部なおざりにしたまままどかとほむらの物語のみが語られてこの話は終わり。残念極まりないです。
 前半戦は設定を説明するための尺が長くてキャラ描写が薄いという不満が(にもかかわらずキャラ人気が支える割合の高いアニメのように見受けられたのは私にはよく分かりませんが)、後半(つか終盤)戦はキャラ消費のための尺が設定のまとまりを阻害していた、という印象のコンテンツ。足して2で割ればバランスが良い。んな訳あるか。

 私が事前に虚淵氏のSF者としての期待値を上げ過ぎていたことが問題のそもそもの根源であったのかも分からない。神林長平トリビュート所収の「敵は海賊」は純粋にスゴかった。この一事とまどかマギカという作品のテーマ・メッセージ性を正直に解釈するならば、「期待なんかするなよ」ということになるのだろう。
 本当か?

 最後に少しはあった褒めるべきところについて書こう。
 世界線改変後(最終話Bパート)の描写は良かったと思う。正しくSFしていたという感じ。「ベタな魔法少女モノへの回帰」などと言われますが、それまでの流れの後にベタを持ち込むことによって異化効果を演出しているっていう点が重要なんじゃないですかね。あの後別の宇宙のキュゥべえが「キミは本当に血の巡りの悪い子だねまどか。全ての平行宇宙を統御する物理法則を一つの宇宙の内側から書き替えられる訳がないじゃないか。キミの貴い自己犠牲によって確かにこの宇宙は変えられた。しかし他の全ての平行宇宙では魔法少女の運命は髪の毛一本ほども変わっていないよ」とか言ってくれれば綺麗にオチたんだけどまあさすがに野暮だからそれは私の脳内だけの設定としておこう(まあ、それをやると「どうして“この”宇宙の話が物語られねばならなかったのか」っていう余りにも当然の問題意識が発生し収集がつかなくなるっていうのは知ってる。まどかはそうならないように結構頑張ってた)。
 あと斉藤千和は心の底から素晴らしい。全身全霊で以て讃えたいくらい素晴らしい。他にことばなど要らない。

獣の樹 10/11/15 Mon.

 コミティアで疲れた。今の私は完全なる腑抜けに他ならない。絵はペーパーの一部。

思っています

 新刊オフセだったわけだが特に平常回と変わることもなく、イヴェント中は天井の梁の数を数えて暇を潰すような時間。正直甘く見ていた。オフセならば歩を緩めて表紙に意識を傾ける人の割合が1.3倍くらいにはなってくれるんじゃないかという根拠のない淡い期待を抱いてしまっていた。何も変わらなかった。絶望的なまでに吸引力が足りない。
 が、自戒を込めたようなことを言いつつも、頭の中では次の漫画の妄想を楽しく進めている。私は妄想を駆動力とするエンジンだ。こねくり回して何か作ろうとするステップが一番楽しいから結果として本という媒体になるのであって、即売会の結果がどう出ようと次にやることは変わらない、というのは前から思っていた気がする。

 しかしまあ構想まで入れれば1年近くを費やして描いた漫画よりも、筆ペンで書き殴ってPIXIVに投げ捨てた勢いのラクガキ漫画(投稿後1時間時点)の方がよほど多くの人の目に止まっているという現状は何とか手を打たねばなりますまいよ。樹海に行く以外の方向で。

・絵の改善のために何らかの方向で努力をする
・ラクガキならラクガキでどのような路線のラクガキの方が受けが良いのか実地調査

 というような両路線を並行するプランがとりあえず有力だ。
 囚活はまあ、騙し騙し。

黙示録三一七四年 10/11/11 Thur.

 木星より重い腰を上げて更新する。コミティア出るよ。スペェスはえ25b。

本の表紙

 ↓こちらは裏表紙だ。

本の裏表紙

 本文が88ページある。なんでこんなに頑張って描いたのか自分でもよく分かんない。描いていた間は思考停止していたという説もある。
 まあ思考していようがいまいが力を込めていようが手を抜いていようが、それなりにリソースを注入して描いたことには間違いないので、暇な方がリソースを注入して読んでいただければそれなりにありがたいことかもしれませんですな。
 よろしくお願いいたします。


 コミティアとは特に関係のないレス。

 >ゴッグ吹いた。

 池澤春菜のモデラー充っぷりは異常。携帯の画像がいっぱいだったから写真は撮ってないけどな!

虚構船団の逆襲 10/09/22 Wed.

本の表紙

 新スキャナついに動作する。あまりにも長いインターヴァルであった……。
 画像はそういえば8月ティアで出したような気がする本の表紙。ずっと旧スキャナに挟まってた。ままあること珍しくない。


 学会で仙台行ってポスター発表してきたという話でもすればいいのか?携帯からmixi日記に書き込んでた内容をコピペ。

 学会という奴はコミケに似ている。
 3日間開催でスペースを1日交替で使い回す。
 企業も営利目的で出展している。
 本締めの3ヵ月以上前に要旨とジャンルを提出しなければならないので、全然違うモノを発表する奴もままいる。

 そして大して実力の無い奴は発表する側で参加しても暇を持て余すのみというところがさ。

 仙台では乗せられないぞと思っていたはずなのに2回も牛タンを食したり、BOOK OFFに行ったりとらのあなに行ったりした。あとなぜかガンプラEXPOなるものが開催されており、随分ショッボい規模だなあとは思いつつも、全然馴染みのなかった文化であるガンプラへの基礎的且つ体系立った理解を手にし、あと池澤春菜が組み立てたゴッグなるものが展示されており爆笑したりした。
 まあ相当楽しかったと言えるんじゃないですかね。

バビロニア・ウェーブ 10/09/06 Mon.

 人に迷惑掛けたのか掛けられたのかよく分からないけど研究が進んでいなくてキツい。
 スキャナはぶっ壊れた。ネットに絵をageるという行為はもうしばらくできはしないのだ。「いずれPIXIVをROM以外で利用するかもしれない」みたいな可能性を抱き続けて生きてきた人間には多少shockだ。
 あとこの日記を更新する意味が確定的に皆無になった。
 阿澄佳奈が生きる支えである。

 仮面ライダーOOOは何か懐かしさを覚えた。アギトに似てるのかしら。第一話を通してこれでもかというほど主人公の思考回路を理解させられるが、敵も味方もどういう位置に立っているのかさっぱり分からない。これでキチンと面白いのだから、次も見ざるを得ない。
 一方プリキュアはもうあのキャラたちがアレをするアニメでしかない。キュアサンシャインはボクっ子の中では歴史的に不要。
 ゴセイジャーに関しては伏せる。

 ルー=ガルー見に行ったらプリキュアの予告編がやっていたのにはニヤリとさせられた。狙い打つべき層を狙い打ってるんだなーー、と。

 少年声の井上麻里奈と桑島法子は似ている。

心の鏡 10/08/30 Mon.

 (ハード面だかソフト面ででか知らないがスキャナが使えなくなったので画像ない)

 今流行りの更新されない個人サイト咆哮剤の主山像(「流行りの」は「更新されない個人サイト一般」に係る)。
 コミティアに委託させて頂くための原稿を描くために存在した8月でした。首都サークル東京様にはお世話になりました。出来は細かいところに目を瞑ればまあ良かったんじゃないのとまあ思う。売り上げはまあナニでしたけど。目を瞑るな?まあ、それそうでしょうけどね。
 売れる同人誌ということの哲学的な意味を考察するのは10年後くらいでいいや。

 「最後に地球人類が滅びる漫画描いたことねえなー」っていうのと「市川春子っぽい絵の人はコミティア会場を隅々まで探せば絶対見つかるはずだが2月と5月では少なくとも見当たらなかった、もういい私が描く」っていうのがスタート地点で、以後連鎖式にできた。ネーム/作画の所要時間比は近年の私の漫画には類を見ないほど小さかく、それはつまりそういう問題点を抱えていたのだと言い換えても可。
 以上です。


 ルー=ガルーは公開初日にみたけど凄くしょんぼりした。秋には原作の続編が出るらしいのでそっちに映画に被せていた期待までをも押し付ける。

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